シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 感想

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シンエヴァンゲリオンを見てきました。

初回は初日8日の仕事終わりにレイト見てきたんですが初回は予想を超えた展開の数々に圧倒され、脳が置いてきぼり気味でした。


あれはどういう意味だったのか、とか、このシーンはこうだよね、という解釈を同士やSNSで語り合い、ある程度整理してから再度視聴。
いろいろと自分なりに納得できたのでざっとですがまとめていこうかと。

 

正直感想と言うよりは、こういう物語だった、こういうキャラクターだったよなーという個人的解釈、自分のためのまとめです。
ネタバレを多分に含みますのでもちろん視聴前提で。
自分と同じ解釈だ~という方のもとへ届いて少しでも共感することが出来たら嬉しいなーと思います。

 

 

碇シンジ

思ったより立ち直るのが早かったですよね。
第3村のスローライフによる転地療法による効果は絶大!
それは冗談として相手の好意を素直に受け取ることが出来、またその好意を相手にも返せるようになるという点が一番の成長かなと。
ひねくれてる成長期だとなかなかありがとうが出てこないし、言えないんですよね。
そこをすらっと言えるようになるのが大人なのかなと個人的に思ったり。

 

精神的に成長して他者を気に掛ける余裕が生まれ、相手のために何かしてあげたいという思いがあったからこそのあのクライマックス。
2回目を視聴する前に旧劇場版を見返してみましたが、補完発動中のシーンでは基本的に自分のことばかりで葛藤してるんですよね。
他者の心の領域にガンガン踏み込んでいって救いだすシンは対照的になっていて、やはり時の流れ、監督の心境の変化を感じました。

 

シンジ君の急速な精神的成長は賛否あると思いますが、個人的にはシンジ君が精神的に成長した結果エヴァという物語はこう変わったという変化の違いのほうが個人的には見たかった部分なので大満足です。

 

 

式波・アスカ・ラングレー

インタビュー等にも出てきますが、Q以降はエヴァパイロットとしてのプロフェッショナル・傭兵的な側面が強くなりましたね。
第3村でも自分は仕事をせず、ここは自分の居場所ではなく守る対象であると言っていたのが印象的でした。

 

旧作や破でも自分が正式エヴァパイロットであることを誇りにしていたアスカですが、そこは今作でも変わらず。
やはり、自分の存在意義そのものであったわけですからね。
今回のシンで補強されたキャラクター性としてその根底には頭をなでてもらえるだけでもいい、他者からの優しさが欲しかったというストレートな感情が描かれました。(母親でなくても良い)
そう考えると守る対象であり、かつ包容力のある男性として、最終的に相手にケンケンが選ばれたのはとっても納得。

 

シンジくんは初恋(?)の相手であり、いろいろな思いは抱いていたんでしょうけど、Qやシンでの奮闘ぶりは第3村をはじめとした周りの人たちを守るというエヴァパイロットとしての使命をひたむきに全うしようとしていたと考えると、最後までとってもヒーローだったな、と感じます。

 

 

 

綾波レイアヤナミレイ)


破であざとかわいいポカポカレイになったと思ってたらQで別人の黒波に置き換えられ、その黒波のままシンに続く、ということでどうなるやらと思っていたキャラクター。
まさか第3村にたどり着くことでさらにあざとかわいいマスコットになるとは、これはさすがに1ミリも予想できませんでした。


おばさんたちに囲まれ可愛がられながら農作業に従事するそっくりさん。途中自分は何の映画を見ているんだ…?となりましたね。
田舎暮らしで人間らしさを手に入れたのはシンジくんではなくレイのほうで、そのレイの口から人々の真心を伝えられたことでシンジくんが立ち直るという構図は非常に美しい。


アスカ、ミサトさんと並ぶメインヒロインの割に終盤の救いというか補完のされかたが割とあっさりめに感じたのは序破でわりとやりたいことはやったからなのかな。
黒波になってからの経験も一つになり最後は母親になりたがっていた風ですが、エヴァのない世界でどうしたいのかが最後に本人の口から聞けるとより良かったかな~と思います。
まぁ最後の世界ではシンジ離れしたうえでカヲルくんと子供を授かっていたようなのでやっぱりハッピーエンドでしょう。

 

 

 

真希波・マリ・イラストリアス


まさにダークホース。破・Qでは大きくストーリーに絡まず、てっきり新たなファン獲得や話題作りのために出したはいいけどあまりうまく動かせてない系のキャラだと思ってました。
なにやら意味深なことを言ってるし、わりといろいろお見通し系のキャラなんだけどきっと自分勝手な目的があってネルフやヴィレを利用してるとかそんなところだろうと。
そんなある意味舐めた視点でのこのキャラを見ていたので今回では度肝を抜かれ、一番の衝撃といっても過言ではないし多くの方も同じ印象だったんじゃないかなと思います。


モデルは庵野監督の奥さんであり、真希波という名前は「デウス・エクス・マキナ」から取られているという説から、エヴァをぶっ壊して無理やり終わらせるためのキャラであるという解釈は納得の一言。
ただ、力業でエヴァを終わらせるってこういうことなのかと。
エヴァは消えました!アスカも綾波もシンジから離れたぞ!シンジも明るいプレイボーイに成長したぞ!ハイ!終わり終わり!エヴァは終了です!何も言えねえ。
ただそんな力業で終わらされても憤りとか、不快感がなくさわやかな気持ちなのはやはりマリというキャラが誰もが納得の「いい女」でまとまっているからなのだと思います。

 


無感情系とか、ツンデレ系とか2次元キャラとしては可愛がる対象としてはよくても、実際リアルでお付き合いしたり結婚したいかっていったら悩んじゃうわけです(個人の感想です)。その点問題点を取り除いて、実際にいたら楽しい・一緒にいて居心地がいい・前を向いて歩いていけそうと思えそうなキャラクター、それがマリ。
90~00年代オタクの理想だったキャラから、一般的・普遍的な「人の良さ」を詰め込んだにキャラにメインヒロインが置き換わったということかなと。
エヴァの顔ともいえるアスカ・綾波を過去にするというのはやはりエヴァという作品の否定であり、「終わったぞ」というこれ以上ないくらいのメッセージでした。
まぁ、ここまで言ってなんですが実はマリの生い立ちや生き様はおそらく全然フツーじゃないし闇が深いとも思います。そこを感じさせない明るさと理性があるのが一番の魅力かな。

 

 

 

葛城ミサト

序・破では旧作からあまり変わらなかったのにQで豹変。めちゃくちゃ叩かれた人。Qだけ見たらホントに大人げないと思うし、しょうがない。
そういうこともあってか、シンではものすごく丁寧にフォローされ、最終的にかなり持ち直して本来のキャラの魅力を取り戻しましたね。
シンでは実は加持さんとの間の息子が生まれていることが明らかになりこれがQの時点で会った設定なのかどうかは変わりませんが、Qで無理してる理由の補強にもなっています。


最後に銃撃を受けつつもシンジくんを送り出すという流れは旧劇場版と同じなのですが、旧劇ではお姉さんなのに対しシンでは母親の心境になってるのがいいですよね。
シンジくんがすでに覚悟完了してたのもありますが、最後の別れが本当に穏やかで旧劇を見た後だとシンはここだけでももうミサトさんは救われた感じがありますね。
Qから変なサングラスかけて無理してクールぶってる様子は本当に見てていたたまれなかったので、ラストの特攻シーンで髪型を戻し、いつもの不敵な笑顔を見せてくれた時は「これこれ!」となりました。
あのシーンはヴンダーの出力を切り替えるくだりで「やっぱり最後は昔ながらの~」という感じのセリフもあり、完全に視聴者の気持ちをシンクロさせに来るのが本当に見事です。
欲を言えばあそこで「次回予告」のBGMがかかったりしたら最高だったかな!(雰囲気ぶち壊し)

 

 

碇ゲンドウ

魔性の女にひっかかってしまっただけの、びっくりするほど普通でピュアな隠キャおじさんだったという、一番想定内というか、驚きがなかった人物。
勝手に急成長してしまったシンジくんに代わり、もはや多くのエヴァファンに一番近い存在であり、ある意味今作イチの癒し要員でもある。
息子が近寄ってくる!怖ッ!ATフィールド!のシーンはもうなんというか可哀そうすぎて泣きそうになりました。


息子は怖い、ユイに会いたいだけのわがままおじさんだということは旧作の時点からでファンからもそういう認識だったと思いますが、シンで新たに生まれた解釈としては真の目的はユイさんを見送ることであったということ。
なんかエヴァと融合して向こう何億年も生きてやろうという謎の道を選んだ妻をきちんと介錯しもす!ということですね。
これはシンジくんが言っていただけなのでゲンドウくんの本意なのかどうかわかりませんが、本当であれば彼もけじめをつけるために頑張っていたわけでちょい株上がった感じ。


ユイさんがブッ飛んだ思想の魔性の女はいえ、出会わなければ孤独死一直線ルートでしたし、やはりゲンドウくんには必要な人だったのでしょう。
ちなみにシンではゲンドウくんとユイさん(と冬月先生)を引き合わせたのはマリってことになっててここでもお前かって感じ。

 

 

以下のキャラは簡潔に

 

 

加持リョウジ

空白の14年の間にめちゃくちゃ仕事してた人。ダブルスパイでいろんな情報を集めるうちに真相にたどり着き、人の力でインパクトを止めるのは無理と悟って箱舟計画のためにヴンダー強奪&ヴィレ結成。
無理だってわかってたのに結局自分一人はサードを止めようとして殉職。でも頑張った結果サードはニアサーで止まったよ。出来たじゃねえか。
こうしてみると作中人物でもトップクラスの貢献度です。退場してからいろんな功績が明るみになって評価されるのがなんとも加持さんらしい。本当にいいキャラでした。
やっぱりQのドグマに墜落してたヘリにのっていたのが加持さんなんですかね。空白の14年、やっぱりスピンオフでもなんでもいいから見たいなぁ~。

 

 

 

赤木リツコ

この人も旧作から全然違う道を歩んだ人ですね。何が分岐点だったのかはわかりませんが、同じ状況でも旧作ではゲンドウくんを撃てないけどシンでは躊躇なく撃ちまくり。
旧作と比べてゲンドウに対する「情」がなくなっているのは間違いありませんが、もともと無いのか、度を超えた結果失ったのかどっちなのかが気になります。
まぁ新劇場版はわりと全編通してキレイなリツコさんの印象があるのでおそらく前者でしょうね。アヤナミシリーズの秘密を明かすのも冬月の役割になってますし。
彼女無しでは14年間ミサトさんを支えるのも、ヴンダーも稼働させるのも無理だったと思うのでそれも見越して最初から丁寧にキレイな方向でシフトされたのかな。
苦労人ではありますが、最後までミサトさんを支えながら人類を救うという使命に燃えていたのでやはり彼女も間違いなく新劇場版で救済されたキャラといえるでしょう。
最後の槍を作る際の「リツコには十分でしょ」というミサトさんの台詞はめちゃくちゃ嬉しかったんだろうなぁとか妄想します。

 

 

 

渚カヲル

彼についてはいまだに謎が多い存在です。ゼーレに仕組まれた駒として何度もシンジと接触させられ、人類補完計画を間近で見せられてきた人物。
そのうちさすがにシンジが不憫になったのか、補完計画をうまいことやらせるなりなんなりでとにかくシンちゃんの望みを叶えてあげたくなった。
で、余りに多くのループを繰り替えすうちにシンジを救うことが目的になってしまい、自分自身が本当に何をしたかったのかを忘れてしまった悲しい人…という解釈です。
最後のシーンで加持さんから畑仕事でもどうです?と提案されてそれもいいねと返していますが、ちょっとだけ社交辞令的というか、おそらく本気ではなさそう。
このシーンではカヲルくんはまだ自分がやりたいことは決められていないんですが、とりあえずやりたいことを選べる、考えられるようになったというだけで彼には救済なのかなと。
渚司令のシーンについては手掛かりが少なすぎますが…わかるのは加持さんの真の目的において上司の立場で協力してくれたということぐらい。やはり空白の14年のスピンオフを(ry

 

 

 

冬月コウゾウ

ゲンドウくんのよき理解者という立ち位置は変わらずに、今回はチートスペックお爺ちゃんぶりを存分に発揮。
直立不動のまま黒ヴンダー3機を操りヴィレを追い詰めていくシーンはQの将棋の先読みシーンが伏線になっていて流石だなぁという印象ですが、実はあそこにヴィレのブンダーを含むフォー・ホースメンをそろえることと、アスカの覚醒2号機を手中に収めることが目的なので冒頭のパリのシーンから全部冬月先生の手のひらの上。
リツコさんは試されていると表現していましたが、最終的に2号機を13号機に奪わてしまったのでヴィレVSネルフは冬月先生の完勝でしょう。
ただ教え子らしきマリに対しても置き土産としてマーク9~12を与え、それが逆転のカギの一つになるのでまぁどんな形であれ碇一家が救われるならいいという願いだったんでしょうね。
終盤、L結界密度の高い黒ヴンダーのコックピットにおいてを自分の意志で人の形を保っていたシーンも相まって、完全に超人じみたハイスペック爺という印象でした。
あとQのラスト時点で実はすでに黒ヴンダーのコックピット内にいるシーンが描写されていたのはシン公開まで気づきませんでした。

 

 

 

綾波ユイ

この人に関しては旧劇からあまり描写が補完されておらず、それゆえに旧劇のままだとしたら相変わらずヤベー女です。苗字が変わった理由とかいろいろ考察してたのに。
ざっくりとした解釈ですがこの人の人生の目的はエヴァを神にして、人が生きた証として未来何億年も宇宙と世界を見守らせることのはず。
どんな人生を歩んできたらそんな発想になるのかわからないし、それでいて美人で愛嬌もあるせいでゲンドウくんも冬月先生もマリも惚れて巻き込まれてしまった。
魔性の女と揶揄されますが、ホントにその通りかと。
最後に自分の計画と心中しそうになってたシンジくんを解放してあげますが、そのあたり心変わりの描写とかがあればまた印象違ったんでしょうけども。

 

 

 

鈴原トウジ&ヒカリ・相田ケンスケ

生きてるのかどうかすらわからず、8年もやきもきさせたと思ったら冒頭12分が終わった直後にさらっとお出し出されるとは。
こっちは心の準備が出来てないんじゃい。加減しろ!と。完全に脳がパニクリましたし、シンジくんもそりゃそうなるよ。
トウジもケンスケも本当に立派な大人になって、それでいてシンジくんにはそれぞれ少し違った接し方をするのがいいですよね。
趣味も軍事オタクで少年時代一人遊びばかりしてたケンスケのほうがシンジくんとの付き合い方がうまかったのがリアルでした。
そういえば、TVシリーズで家出したシンジくんを拾ってくれたのもケンスケでしたね。新劇場版でカットしたのめっちゃ惜しいな!

 

 

 

■鈴原サクラ

今作のMVP。変な方向で一気に人気が爆発しました。
Qでも「エヴァにだけは乗らんといてくださいよ!」のセリフ一つでめちゃくちゃキャラ立てた感じがありましたが、シンを見た後だと全然サクラというキャラの全貌が見えていませんでしたね。
ある意味当然の話ですけど、それにしてもずっと愚痴を言って爆発フラグを立ててた北上ミドリがうまいこと隠れ蓑になってたなぁと。この辺はやはり見事です。
碇シンジは見る人によっては疫病神でもあるしヒーローでもあるという、一般人目線の代表のキャラだったはず…なのですが…思ったより主張の方法が過激だったな!?
兄のトウジはシンジくんを初対面で殴るし、サクラも帰ってきたシンジくんをビンタしてたのでそういう血筋なんだろうけど、極限まで行くとああなるんですね。この子にも相手が必要だよ!。

 

その他元ネルフ組やヴィレクルーも各自いい味でてましたね。
ヴィレの人たちもポッと出の印象で異物感が凄かったですけど、気づけばQの公開も8年前なわけでなんやかんやでうまくなじめたかなと。

 

 

 

シンエヴァから受け取ったメッセージ

最後に、この新劇場版を通して監督が伝えたかったことってエヴァファン一人ひとり、それぞれ各々の幸せを見つけてくれってことだと思うんですよね。
世の中大変なこともあって逃げたくなることもあるけど現実もそんなに捨てたもんじゃないよと。その辺は破でもマリが言ってたことですが。
変えられない過去を受け入れて、未来に目を向ける事。今作ではトウジ、ヒカリ、ケンスケがそのあたりの代弁者になってた印象です。

 

旧劇のころは現実逃避すんなオタク!つらい現実と向き合え!というスパルタあるいはケンカ腰なスタンスだったのが、今回は凄く優しく応援してくれてる感じ。
エヴァンゲリオンそのものが虚構=現実逃避の象徴だとして、そろそろ終わりしてもいいんじゃない?世の中にはもっと面白いことや素敵な物がたくさんあるし、いい人もいるよ、と。

 

作中で度々登場する電車の精神世界は行き先の決まったどん詰まりの未来を表しており、最後に電車を待っていたシンジはマリと一緒に電車に乗らずにホームを出て、町に駆け出す。


現実はアニメのように一本道の線路ではなく、ごちゃごちゃいろんなものがあり、ガヤガヤいろんな人がいる。その中でいろんな物や人に触れ、その繰り返しの先に本当の幸せを見つけてくれと。あの実写の街のシーンからはそんなメッセージを受け取りました。こういうと一気に安っぽくなりますが、ホントに人生について考えさせられちゃう映画でしたね。


エヴァに深くのめり込んだ人、大切な青春をささげた人ほどおそらくこの結末は衝撃的で、深く深く考えさせられる含蓄のあるものになっていると思います。
ぶっちゃけ、このシンエヴァについて長文ブログを書き、まだまだ語りたりねえ!と思ってしまう時点で私自身がエヴァにさよならできるのは当分先かなぁと思ってますが
作中のキャラの生き様や、この結末を見せてくれた庵野監督のメッセージはしっかりと胸に刻んで、希望をもってまた明日からポジティブに人生を送っていこうと思います。

 

 

25年間ありがとうございました!エヴァンゲリオン